松山城のお堀端を車で通るたび、赤い鳥居が目に入って「あそこに神社があるな〜」と存在はずっと知っていました。ずっと気になっていたので調べてみたら、ここは狸の神様が祀られている神社だと知って、すぐに行ってみることにしました。


■階段を降りていくとこんじんまりとした境内


一般的な神社というと階段を上に上っていくイメージがありますが、ここは階段を降りていくちょっと珍しい作りになっています。小じんまりとした境内ですが、降りていくとまず目に入るのが、すっぱり切られて保護シートがかけられた大きな木(ご神木)です。


そして、赤い提灯が飾られた正面にメインのお社(お宮)があります。手を合わせてご挨拶させていただきました。

その先、お堀の水辺に沿うように通路を進んでいくと、小さな祠(ほこら)が2つ並んでいます。お社や祠を覗いてみると、棚のところにちょこんと置かれた小さな狸の置物や、一番奥のお社の中で綺麗な着物を羽織って大切にお祀りされている狸の神様の姿がありました。


こちらの内壁のところには、正岡子規の句が書かれた紙が貼られていました。この句は、子規が病気療養のために東京で過ごしていた際、遠く離れた故郷・松山を思い出して詠んだものだそうです。
病床に伏しながらも、春雨の中で温かく「お袖さん」を祀るお堀端の風景を思い浮かべ、「あの大木や祠は今も変わらずそこにあるのだろうか」と故郷に思いを馳せていたそうです。

さらに奥へ進むと、一番奥の祠に可愛らしい狸の像が飾られています。

境内全体を通して、とにかく清掃が行き届いていて、お榊も綺麗にいけられており、大事にお手入れされているのが伝わってきました。
■ なぜ松山はタヌキ伝説が多い?「お袖さん」の由来
そもそも四国、特に松山は昔から日本有数のタヌキ伝説が多い地域です。松山城がそびえる城山には昔から多くの野生タヌキが生息しており、四国八十八ヶ所の霊場巡りといった庶民信仰とも結びついて、「タヌキが人を助ける」「化けて霊験を見せる」という民話が数多く語り継がれてきました。
ここ「八股榎お袖大明神(やつまたえのきおそでだいみょうじん)」は、江戸時代末期の弘化年間(1844〜1848年)に遡ります。 当時は幕末直前で天保の大飢饉などの影響もあり、庶民の暮らしが非常に苦しく、神仏にすがる民間信仰が流行していた時代でした。
松山城の森から、お堀端にあった八股の榎(エノキ)の木に移り住んだのが、メスのタヌキ「お袖(おそで)」です。お袖さんは「松山一の美女狸」と称されていました。
当時、お堀の近くに住んでいた生活に困窮したおばあさんが、この榎に住むお袖さんにお供え物をしたところ、不思議と商売がうまくいったり病気が治ったりしたそうです。
ここから手を合わせれば救われる、お袖(着物の袖)を伸ばせば(手を差し伸べれば)救われるという言葉が生まれ、困った人たちが助けを求めて参拝するようになりました。
お袖大明神は「商売繁盛」をはじめ、「良縁祈願」「家内安全」「病気平癒」「芸能上達」など、特に女性や商売をされる方から篤く信仰されている神様です。
ちなみに、一番奥に祀られている狸様ですが、2011年に一度盗み去られてしまうという悲しい事件がありました。しかし地元の方々や信者さんの想いによって新しい像が奉納され、今もこうして守られています。
■ 路面電車工事と「祟り騒動」、そして戦後の復興
この神社には、時代の波に揉まれた複雑な歴史もあります。
明治44年(1911年)、路面電車を通すためにお堀が埋め立てられた際、初代の榎の枝や幹が大きく切り落とされ、工事関係者に病人が出たことで「お袖さんの祟りだ」と騒がれました。
さらに昭和9年(1934年)、電車の複線化工事で榎を完全に伐採しようとした際も、作業員の大怪我や高熱が相次ぎ、出動した軍隊(憲兵)の関係者まで急病に倒れる事態になったそうです。
祟りを恐れた人々は、木を伐採せずに済むよう幹を短く切り詰めて根っこごと掘り起こし、近くのお寺(阿楽庵)へ移植しました。(※残念ながら大木だった榎は移植のダメージで枯れてしまいました)
戦時中はご神体が今治市大西町へ一時避難されていましたが、戦後の昭和22年(1947年)、松山にお袖さんを戻そうという市民の熱意によって、現在の東堀端に祠が再建されました。
■ ご神木に残る最近の事故と、今も続くお祭り
境内にある切られた大木は、戦後に育った2代目の木です。 実は2024年9月22日、長年の風雨により幹の一部が自然倒木し、お社の屋根などを壊してしまう事故がありました。二次被害を防ぐため緊急で剪定(切断)処理がされ、現在も修繕の寄付が呼びかけられています。
木の傷跡には胸が痛みますが、境内が明るく清潔に保たれているのは、ここを大切に想う人たちの手が行き届いているからなんだなと感じます。
それは、長年ここを守ってこられた「田中喜子さん」というおばあさんと、その想いを引き継いだ地元のボランティア(奉賛会)の方々が、毎日丁寧にお手入れをしてくださっているおかげだそうです。
田中さんは50年以上もお一人でお袖さんを守ってこられた有名な方なのですが、現在はかなりのご高齢ということもあり、普段のお掃除は有志の方々が担当され、田中さんご本人は毎月8日の「月並祭」や10月8日の「大祭」などのお祭りの日にお参りにお越しになることが多いとのことです。
参拝者にも優しく声をかけて歴史や昔話を教えてくださる素敵な方だと評判なので、私もぜひ一度、お会いしてみたいなと思っています。
また、年間を通して以下のお祭りが行われています。
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月並祭(つきなみさい):毎月8日
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例大祭(大祭):毎年10月8日
ちょうど10月8日の大祭が近づいているので、タイミングが合えばぜひ行って、その時の様子もまたブログでご報告したいと思います。
■ お参りしてみたら…ちょっと嬉しい出来事も
実はお参りをしたその週、私が出るイベントに、いつも以上にたくさんのお客さんが来てくださったんです。「もしかしてお袖さんの商売繁盛のご利益なのかな…?」なんて、ちょっと嬉しくなってしまいました。
松山城のお堀端にひっそりと佇む歴史ある神社。ぜひ一度足を運んでみてくださいね。
松山市の占い師 HESUN ヘスン









家を買う、家を建てるということは、賃貸とは重みがまったく違います。 賃貸なら何かあっても引っ越せば済みますが、ローンを組んで持ち家を持つということは、そこに一生住むということです。
土地の選定を誤ってしまうと、住んでいる人に悪影響を及ぼすことがよくあります。引っ越してすぐに現象が出る場合もありますが、毎日寝泊まりする場所だからこそ、その土地の「癖」がじわじわと住んでいる人たちに影響を与えていきます。パターンはいろんなありますが、病気になってしまったり、仕事がうまくいかなくなったり、引きこもったり、離婚、ローンが払えなくなる、結局その家に住めなくなってしまう…というケースもよく聞く話です。
不動産屋さんの存在はもちろん大事です。ですが、言われたことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分たちでしっかり調べることが欠かせません。
・白いデンファレ 






