次女が高校に行き始めて2週間以上経ったかな。少し緊張しながらの初登校、中学校の顔馴染みはなく、あちこちから生徒が集まってきます。マンモス校なので、卒業するまで一度も会わないって子もたくさんいるはず。
次女のクラスは3年生までずっとメンバーが変わらないので、このクラスのみんなとは濃い付き合いになりそうです。
「これからどうなるんだろう⁈」と不安多めで少し期待もあったのかな、複雑な思いでの高校生活のスタートです。私も気になりつつ、様子を見守っていました。通い始めて2~3日した頃、とっても気の合うお友達がすぐできたようで、中学時代にはほぼ見ることのなかった笑顔と「本当に楽しい!」って言葉がもれるくらいhappyに学校へ通ってます。母としては何より嬉しいし限りです~、というかホッとしてます。
中学時代はコロナに振り回された3年間でもあり、次女が真剣に自分の顔について悩みに悩んだ時期ともなりました。
なった本人しかわからない障害。「お母さんやみんなにはわかんないよ‼︎」って言われた時は何も言えませんでした。
「ごめんね、お母さんのせいだ」何度自分を責めたかわからない。どんな声掛けも、次女からすると耳にしたくない言葉の羅列のようで、いつも暗く険しい顔をしていました。
生まれた時からずっと治療や検診で病院通いは続いてます。成長の段階で何度か手術をし痛い思いは尽きません。痛くてもグッと我慢できる強い子です、そのこともストレスを増長させたのかもしれません。
幼いころは顔に関して周りと比較するということもほとんどなかったので、小学4、5年生まではとても活発でいつもニコニコしているイメージの子でした。でもやっぱり高学年にもなってくると見た目や成績など、いろんなことに人との差を意識し始めました。女の子ということもあり特に顔の障害は「みんなと違う、何で私だけ鼻と口と歯茎がおかしいの!、何てブスなんよっ」と自分で自分を責め、ときには親を責め、次女の感情がどんどん壊れていきました。
コロナ時期は「外には出ない・自宅で過ごす・マスクは必須」だったせいで、余計に人に会わなくていい、顔を見せななくていいという習慣がついてしまい、ますます引きこもっていくきっかけになりました。
そんな次女を大きい気持ちで受け入れる、見守るといった態勢でいられたらよかったのですが私もまだまだ未熟でした。自分自身気持ちの浮き沈みもあり、知らず知らずのうちに私の対応で傷ついたこともたくさんあっただろうなと感じます。
本当に苦しい期間でもあり、このことが次女に混沌をもたらし、家族も一緒に向き合わなければなりませんでした。でもこれがあったからこそ、愛媛から大阪へ(中学生でも修正術してくれる病院)、主治医以外の先生に、どうなるかわからないけれど診察する、という選択ができたし、実行したことでやっと希望というか新しい光が見えてきました。
中3という大事な時期に学校を休んで口唇外鼻修正術を受け、一人大阪で2週間入院してきました。この決断は本当に良かったです。「もう学校なんて行きたくない」、「何もやる気がしない」そんな毎日から前向きな気持ちを持てるような子に変わったのは言うまでもありません。
こんな一連もあり、高校進学で仲良しになったお友達との出会いはとても不思議なご縁だったのです。その子は生まれつき右耳に障害を持っているそうです。彼女も幼いころから治療と通院です。中学生の時に手術をしていたらしく次女と共通点がたくさんあったようです。2人ともそんなことは知らずに意気投合していて、そこも何か引き合うものがあったのかなと思ってます。体の悩みの場所は違えど同じ境遇だったのがお互いの信頼関係を深めているようです。
まだ始まったばかりの高校生活ですが、新しい出会いやチャレンジの機会も増えてくると思います。経験したことは辛かった出来事としてではなく、体験して初めてわかった(実感した)こととして、活力の源になるといいなぁなんて思います。まだまだ道半ばの次女よ、いろいろあるとは思うけど攻略していこうぜ!
っていうか、私もだよな(^^)v
Hesun ヘスン