末っ子にとって大きな選択とも言える「2022年5月18日」は、口唇外鼻修正術をした日です。
早いものでもう1年経ちました…
娘は生まれつき右側口唇顎裂という疾患をもって生まれてきました。
|小児先天異常
この疾患は先天性異常のひとつで、口唇裂、口蓋裂、顎裂があります。500人に1人ぐらいの割合で生まれるといわれています。原因は家族や親戚に多いなどの遺伝的因子や、母親の出産年齢や内服薬、感染症、妊娠中のトラブルなどの環境因子が複雑に関係して発現するといわれていますが、原因をはっきり特定することは難しいと言われています。
お腹の中の赤ちゃんが胎生4~12週ころ(初期段階)に何らかの異常を生じて顔面に形態異常が発生します。
口唇裂(こうしんれつ)とは、うわくちびるの皮膚に割れ目が生じたものです。左右のどちらか一方に割れ目があるものを片側唇裂と呼び、両側に割れ目があるものを両側唇裂といいます。口唇が割れていると同時に、鼻も変形しています。裂け方や部位にも様々な違いがあります。
口蓋裂(こうがいれつ)とは、口の中の上の壁の部位で鼻腔(鼻の中)と口腔(口の中)を分ける境がないことで、口の中の上の壁が裂けている状態です。食べたものが鼻から出たり、飲み込みにくい、言葉が鼻から漏れてしまいはっきり聞き取りにくいなどの問題が生じます。この口蓋の部位の裂け方にも様々な形態があります。
顎裂(がくれつ)とは、歯ぐきに割れ目がある状態です。顎裂だけで存在することはほぼなく、口唇裂や口蓋裂に合併してきます。割れ目があることで、口唇や口蓋を閉じる手術をしたとしても口腔(口の中)と鼻腔(鼻の中)の一部が閉じていない状態となることがあります。そして歯が生える土台が一部連続していないことで歯並びが悪く、噛み合わせに問題が生じることがあります。
見た目の問題もありますし、口蓋裂のお子さんは赤ちゃんのときは哺乳が困難になります。中耳炎にかかりやすい子、言葉のトレーニングを必要とする子、歯科矯正治療を必要とする子が多いことなどがこの疾患の特徴です。
一般的に口唇裂・口蓋裂は単独で発生することが多いですが、他の合併症を伴って生まれてくる場合もあります。
手足の異常、心臓の異常、頭蓋の異常、耳介の異常です。見える箇所はすぐに診断してもらえますが、見えないところは診断が遅くなることもあります。小児科、形成外科、矯正歯科は生まれたときから定期的に通うことになります。小児科は1年間ほど通って内臓疾患がなければ終わりるお子さんも多いかと思います。形成外科と矯正歯科は長く通う必要がありますが、ここで終わりという境界線はありませんのでお子さんによって違ってきます。
|修正手術
1回目の手術は、生まれて3か月頃に口唇裂の縫合手術をしました。鼻の穴の入口付近から上唇の下までパックリ裂けていたので、その部位の手術です。全身麻酔で手術を行い、点滴だらけの娘の口元は血だらけでパンパンに腫れていました。当時のことは鮮明には覚えていませんが、痛々しい姿を見ては泣いていたように思います。
2回目の手術は、6歳のときに顎裂の手術をしました。顎裂は主に骨の欠損なので、ここを埋める必要があります。欠損部位に移植する骨は腸骨と呼ばれる自分の腰骨使います。腰骨を切り取り、移植することで正常な連続する歯槽骨を再建し、きれいな歯列を形成します。このときは腰骨を取ったので動けず、膀胱留置カテーテルを初めて使用して本人すごく痛がってました。手術にしてもカテーテルにしても、退院するまでの治療や抜糸など、どれも痛くて本当に大変だったと思います。
ざっとではありますが、娘の疾患についてまとめてみました。うちの場合は、片側の口唇裂と鼻の変形、歯茎が割れている顎裂です。他の合併症はありませんでした。
私はもともと子供が2~3人は欲しくて、長女は結婚してすぐ授かったので2人目もすぐにできると思ってました。が、思うようにはなりませんでした。2人目が欲しいなって頃に引っ越しをしたのもあり、長女もまだ小さく手が掛かっていたのと引っ越し疲れが重なりとても不安定になっていました。実は主人ともあまりうまくいってなく、私は一人でずっとストレスを感じていました。
それでも長女を一人っ子にはしたくないのと、どうしてももう一人欲しくてチャレンジし続けました。今だから言えますが、本当に子づくりが辛くて辛くてしょうがなかったです。もう無理かな…、諦めようとしていたときにこの子を授かりました。わかったときは本当に幸せでした。
幸せな気持ちは束の間で、このあとの妊娠生活が地獄の日々となりました。高熱、吐き気、膣にヘルペス、食べれない、動けない、入院と、、、原因不明の体調不良が続きました。たぶんこれが原因で娘は先天性異常の口の変形を発症したと思っています。妊娠6ヶ月くらいまでは続きましたが、最後の後期くらいからはすっかり体調もよくなっていきました。
何ヶ月目の検診のときか忘れましたが、「お腹の赤ちゃんは口唇裂です」と聞かされたときは、この名前さえもわかっていない状態でした。私自身、あまりショックや不安を感じることもなくお腹の中で元気にすくすく育っていることがなにより嬉しかったことしか思い出せません。体調が悪すぎて死んでしまうかもって思うくらい心身共にぐったりしていたので普通に生活できるようになれたときには謎にこの子は大丈夫と自信がありました。
生まれて初めて対面したときも本当にとっても可愛いって思いました。小さくてお人形さんみたいで、口元の変形も愛おしかったです。少し辛かったのは、まわりの人の反応でした。娘を見て口を噤む姿をみたときはやはりショックでした。でもそんなことは私には関係ないし、いろいろわからないなりに口唇顎裂の子を一生懸命育てることに精一杯でしたから。
書ききれないくらいたくさんの過程があり、成長の段階で周りのみんなと私は違うって悩んだはずですし、手術や長い治療期間とそれに伴う痛み、そして見た目の劣等感と戦ってきたと思います。娘の場合は中学生になってから急激に見た目を気にするようになり、人の顔を見て話せなくなったのです。絶対口元は見せません、ちょうどコロナになった年が中学生になった時期と重なり、マスク生活は娘にとっては好都合だったはずです。
このころって自宅で過ごすことも多くなり、SNSを見る機会が増えました。今は誰でも自分を表現することが容易にできますよね、同じような年代の子、可愛いアイドル達、どの子も本当に綺麗に着飾れますし加工もできます(もちろん加工なしで可愛い子もたくさんいます)。時間ができ、このSNSを頻繁に見ることで自分と比較しどんどん自信を無くしていきました。いろんなことが重なっていたとは思いますが、決定的だったのは美術の授業で自画像を描くことでした。
理由も言わず学校に行きたくないと言い出しました。学校を休むということがほとんどなかった娘が、行きたくないと塞ぎ込みますます些細なことでイライラするようになりました。なかなか理由を話してくれなかったのですが、諦めずに話してくれるのを待ちました。顔のことを気にしているのも知っていたし、一日も早く口と鼻の修正術を望んでいたのでそのことかなと思っていましたが、かかりつけ医からは18歳以降にするのがよいと聞かされていたので、この段階では全くする気はありませんでした。
この自画像が大きな引き金となって、私自身も娘としっかり話し合うことができました。学校も1週間ほど休みたいということで休んで、私が学校に行って担任の先生、美術の先生、学年主任の先生と今回のいきさつや今後について話をし、本人も先生と面談しました。自画像も、真正面の顔ではなく自由な角度で表現していいことになり本人納得して最後まで仕上げることができました。そして修正手術も早めることと、ここ松山ではなく県外の病院を探すことにしました。
「決まると早い!」ですね、あっという間に症例の多い大阪母子医療センターの存在を知り、連絡することとなりました。タイミングよく早めに受診することができ、5か月後の春には修正手術の予約を取ることが出来ました。
2回目に訪れたのが手術前日となり、私と2人で行きました。私は次の日の手術を見届け、ひと段落したところで松山へ戻り、10日後に大阪へ迎えに行きました。
手術は中学3年生の受験の時期で、5月に2週間学校を休むことはとても心配でしたが、それよりも娘の気持ちを優先しました。今考えても、やはりこの選択は正しかったと思っています。そして何より本人がそう言ってるんですから間違いなしです。
本当に早いもので1年が過ぎました。中学3年の5月に手術をしたので「卒業アルバム」、「マイナンバーカード」、「高校の学生手帳」などの写真撮影で嫌な思いをすることはありませんでした。決して口元がまっさらになったわけではありませんし、鼻の形が完璧になったわけではありませんが、それは私だって同じです。左右対称ではないし、形がきれいなわけでもありません。誰にだって気になることはや気に病むことは、わからないだけで持っているはずです。
娘には、範囲を狭めて執着することや完璧さを求め過ぎて自分を追い込むことはして欲しくありません。特に今は若くて元気なときです。もっと視野を広げて、自由に楽しく、失敗も恐れずたくさんの経験をしていって欲しいです。
懐かしい写真です。大きくなるのは早いですね。
HESUN ヘスン