次女の受験を見ていると、気づけばつい、あれこれ口を出してしまう自分がいました。上の子のときは任せきりだった分、今度は少しでも力になりたくて、情報を集めては、あーだこーだと伝えてしまうんです。
上の子の受験のときは、私自身が大学受験の仕組みをよくわかっていませんでした。大学によって特徴や偏差値も違うし、キャンパスが都内なのか郊外なのか、受験方式や日程、併願校の組み方、対策の立て方など…。本当に調べることは山ほどありますよね。
上の子はどちらかというとぬるい感じのタイプです笑。でも必要なことは意外とサッと調べて、見極めが鋭く、必要なことは淡々とこなすしっかりした一面もあって、私はほとんど任せきりにしていました。
今思うと、もう少し手伝えたかもしれないと、少し後悔しています。というのも、地方から関東への遠方受験で、5回の試験日を一度戻ってから、数日後にまた関東へ向かうという、結果的にとてもハードなスケジュールになってしまったんです。あのとき、あのまま滞在させてあげればよかったなと、今でも思います。
そんな経験もあって、今度は同じような思いをさせたくないと思い、つい先回りしてしまう私がいました。そして体外にしとけばいいものを、相談されてないことまでいろいろと口出しです。
良かれと思っていても、相手からすればプレッシャーに感じたり、「お母さんは私の気持ちをわかってくれてない」と思われていたのかもしれません。近い存在だからこそ、つい踏み込みすぎてしまう。それは、もしかしたら私自身が不安だったからかもしれません。自分に自信がない分、その不安を相手に映してしまっていたのだと思います。いくら心配でも、子ども自身が考えて、悩んで、決断すること、そしてときには失敗する経験こそが、生き抜く力を育てる大切な時間であり、成長のチャンスなんだと思います。もしかしたら、私がその可能性の芽を摘んでしまっていたのかもしれません。だから最近は、少しだけ立ち止まって考えるようにしています。
「今、この言葉は本当に必要かな?」と…。
見守るって、何もしないことではなく、相手を信じる覚悟を持つこと。子どものことだから、つい想いや気持ちが強くなっちゃって、一歩引くことが難しい。でも、ちゃんと信じて見守る。それがきっと、相手の中に「自分でできる」という気持ちと、「何があっても大丈夫」という心の土台が育つような気がします。
人生の道はひとつじゃない。思うようにいかないことも、寄り道も、遠回りも、あとから振り返れば、ちゃんと意味があったとわかるしね。もっと肩の力を抜いて、
「大丈夫、きっとこの子は乗り越えられる」
それは、子どもに向けた言葉のようでいて、気づけば、自分にも言い聞かせていたのかもしれない。
HESUN ヘスン


 
															

