「恋ってなに?」「愛ってなに?」
占いのご相談を受けていると、恋愛に関する悩みは本当によくあります。私自身も、いろんな恋を経て、結婚というパートナーシップの中でさまざまな波を経験してきました。正直、今でも迷ったり、悩んだりすることがあります。そして最近、よく感じるのは、自分自身の思い込みや、相手の中にある固定観念が強いままだと、関係はなかなか愛に育っていかないということ。どれだけ長い時間を共に過ごしていても、それを乗り越えていくのは簡単なことではないんだなと、つくづく感じています。
「恋とは?愛とは?」、私にとってもずっと考え続けているテーマです。だから今回は、私なりに感じたことをここに書いてみることにしました。
恋とは、相手の存在を認識できてはいるけれど、まだ粗削りで、真実の姿は見えていない状態。
近くにあるのに、はっきりとはつかめない、幻想が混じる存在といった感じです。恋のとき、人は相手の良いところばかりを見たり、見たいところだけを見てしまう傾向が強いです。出会って間もなく、知りたい、もっと近づきたいと願う時期は、まだ相手のことがはっきり見えていない状態です。だからこそ、感情が高まり興奮するのかもしれません。
この時期の脳内は、ドーパミンやPEA(フェニルエチルアミン)といった高揚感を生むホルモンが大量に出ていて、いわば中毒のような状態です。ときめきや熱中、理想化が大きく膨らみます。ステータスや見た目に惹かれ意識します。恋とは、自分の気持ちを中心に動く感情。それが本質だと思います。
一方、愛とは、相手の存在そのものを理解し、尊重し、無償で大切に思える気持ち。
ときめきや高ぶりではなく、その人の幸せを願い、そっと寄り添いたいという穏やかな思いが中心にあるのではと思います。愛は、完璧さを求めるものではないと思います。むしろありのままを受け入れ、許そうとする心の余裕が必要です。良いところも、弱さや欠点も、その人らしさとして見ていけることです。
この段階になると、脳内ではオキシトシン(愛情ホルモン)やセロトニン(安定ホルモン)が出て、恋のような高ぶりではなく、心が穏やかに満たされていく感覚があります。まるで母のような大きな器にすっぽり包まれているような安堵感なのでしょうか。
でも… 恋から愛に進むのは、簡単なことではありません。恋のドキドキは長くは続かず、時間がたつと合わないところ、違和感が見えてくるのは当然です。そのとき、つい「なんであんなこと言うの?」「どうしてわかってくれないの?」とイラッとしてしまうこともあります。でもその裏には、自分自身の常識や期待があったり、こうして欲しいという思いを、無意識のうちに相手に押しつけてしまっていることもあります。「違和感=相手が悪い」ではなく、自分の心がどう反応しているのかに目を向けてみること。それに気づくことが、気持ちを整理し、自分の中で納得していくための第一歩になるのだと思います。
「受け入れる」とは、ただ我慢することではありません。本当に大事なのは、ぶつかったり、話し合ったりしながらも、また向き合える関係であることです。ときには喧嘩もします。意見が合わないこともあります。でもその中で、「ごめんね」と言えたり、「私もちょっと言いすぎたかも」と素直に認め合える関係こそが、愛を深めていく土台だと思います。
この人のせいではなく、私の言い方はどうだったかな?、態度、冷たかったかな?と自分の側にも原因があるかも、と考えられることです。完全に理解できなくても、理解したいと思える姿勢があるだけで、関係は少しずつ変わっていくと私は思います。
愛は、どちらか一方が我慢することで成り立つものではなく、お互いが話していい、吐き出していいと思える関係性の中で育つものだと感じます。いいことも、悪いことも、嬉しいことも、しんどいことも、ちゃんと話せる関係が「信頼」の証です。
そして、自分ばかりを責めすぎるのも違います。自分の中にある違和感や不満も、ちゃんと相手に伝えられること、それも大切にして欲しいことの一つです。
信頼は、恋の期間には足りない「安定」と「継続」を、与えてくれるのではないでしょうか。決して、恋がいいとか悪いとかを言いたいのではなく、それぞれの違いについて考えてみました。
とは言っても、感情をコントロールするのは簡単なことではありません。気持ちの問題だけでなく、人間の体の状態や、そのとき置かれている環境によっても、心が乱れてしまうことはあると思うんです。だからこそ、日々の小さな積み重ねが、良い方向に進むか、それとも悪い方向に傾くかの分かれ道をつくっているような気がしてなりません。
みなさんは、どう思いますか?よかったらこの機会に、「自分はどうなんだろう?」と、少し立ち止まって見つめ直してみてはいかがでしょうか。
HESUN ヘスン