娘がくれた一曲が、私に問いかけてくれた

先日、娘から「この曲が好き」とメッセージが届きました。大学で離れて暮らすようになり、話す機会も少なくなっていたけれど、こうしてふとしたときに“娘の好き”を教えてくれることが、なんだかとてもうれしかったです。

その曲は、小山田壮平さんの「恋はマーブルの海へ」
https://youtu.be/Tmn_Oc0iBQo?si=-ZpFaOiVJtqCqzYF

聴いているうちに、昔の恋愛がふっと蘇りました。10代、20代のころに感じた切ない想い、心を奪われるようなときめき。でも、その歌詞をじっくり見ていたら、あるフレーズが心にひっかかりました。

恋はマーブルの海へ溶けていく雫
さよならの時に気づいてはじめて出会える光

そしてもう一つ。

恋は砂漠を彷徨う寂しいライオン
追いかけるけれどどこまでも逃げていく蜃気楼

どちらもまったく違う言葉を使っているけれど、伝えたいことはきっと同じです。「恋」は、美しくて、でもつかもうとするとすぐに消えてしまう、はかないもの。目の前にあるときにはその大切さに気づけず、失うときにようやく、自分自身の素直な気持ちがわかるのかもしれません。恋が終わったあとにようやく見える「光」とは、相手との時間の大切さ、自分の本当の想い、この恋を通して得られた大事なことに気づく瞬間なのだと思います。

別の角度から見ると、ライオンのように力強く恋を追いかけても、それは蜃気楼のように逃げていってしまう現実があります。どれだけ想っても報われない恋や、空回りしてしまう気持ちを感じさせます。

表現は異なりますが、どちらも「恋の儚さ」や「切なさ」、そして気づいたときにはもう遅いという、時間の流れの中で変化していく心を描いているように感じました。とてもきれいな瞬間を表していますね。

私自身、結婚してもう20年以上になります。結婚を決めたときや、すべてが新鮮に感じられた頃には、恋はやがて愛に変わっていくものだと、どこかで信じていました。けれど気がつけば、「好き」とか「愛してる」といった感情は、いつの間にか遠くへ行ってしまって、現実と向き合う毎日ばかりが続いていました。そして私は、ただただ、疲れやストレスを素直に伝えることができずにいたのです。

それは、夫が悪いわけではなく、私にもきっと足りないところがあったのだと思います。そして、その溝をどうにかしようとせずに放ってきたことも、大きな原因のひとつだったのかもしれません。そうしているうちに、気づかないまま少しずつ、溝は深くなっていったのだと思います。今さらながら感じるのは、私はずっと、自分の気持ちをちゃんと伝えてこなかったということです。

幼い頃、ヒステリックな祖母と暮らしていて、ちょっとしたきっかけで暴れ出すその姿が、とても怖かったのを覚えています。それ以来、黙っていれば平穏が保てる… そう思い込むようになってしまいました。でも、その平穏は、自分の気持ちを押し殺す日々であり、その思い込みは、崩されることのないまま、ずっと私を縛りつけていたのだと思います。

占いの仕事を始めたとき、夫と大ゲンカになりました。「そんなもの、いかがわしい!」と大反対されたのです。でもその瞬間、私の中に溜まっていた何かがパーンとはじけて、一気にあふれ出しました。そうです、マジでブチ切れたんです。本音をぶつけ合うなんて、結婚して初めてだったかもしれません。

その日を境に、私はようやく自分の気持ちを伝えるようになりました。それでも、すぐに性格が変わるわけではなく、今でもたまに、言いたいことを飲み込んでしまう自分がいます。けれど少なくとも、言われっぱなしではなく、自分の気持ちもきちんと伝えるようにしています。

「恋はマーブルの海へ溶けていく雫」
その言葉には、きらきらと輝いた一瞬や、切なさ、届かなかった想いなど、よいところだけが残って美しく記憶されていくような、そんな儚さを感じます。

でも、「愛」はきっと、すれ違い、ぶつかり合い、分かり合えなかった時間もすべて抱えながら、それでも一緒にいようと決める、覚悟のようなものかもしれません。

恋は、ときめきのなかで始まり、愛は、現実のなかで試され、育まれていくものなのでしょうか。私はいまも、まだその途中にいて答えはわかりません。

葛藤しながらも、少しずつ自分の気持ちに正直に、人生を歩いていきたいと思っています。何気なく娘が送ってくれたこの歌が、そんな“いまの私”に、そっと問いかけてくれたような気がしました。

HESUN ヘスン

こんな記事も読まれています

ヘスン

1972年島根生まれ。愛媛・松山を中心に占い師として活動しています。詳しくはこちらから。ご相談やイベントのご依頼はこちらから。Instagramもやっています。

上部へスクロール