私の次女は右側唇顎裂で生まれてきました。
先天性異常の一つで形態異常としては、口唇裂(こうしんれつ)や口蓋裂(こうがいれつ)がもっとも多いと言われています。さらに顔の他の一部も裂けていたり、手足にも出たり、耳介、心臓、頭蓋などの異常といった合併もあったりとその程度はさまざまです。
次女は幸いにも、片側だけの唇裂と顎裂で合併症もありませんでした。しかし、出生直後から小児科、形成外科の診察は定期的にあって、全身麻酔をする手術を3カ月と6歳の時にしました。前歯が永久歯に生えかわったら辛い矯正治療が始まります、おそらく18~20歳まではかかるでしょう。
小学生までは、スポーツマンで笑顔のたえない活発な子でした。ところが中学生になり思春期も重なり、自分の顔に対し不快な気持ちをもち始めました。コロナも始まり、家から出られずしかも時間はたくさんあります。SNSの世界にどっぷり浸かり、可愛い女の子と自分を比較するようになりました。そこからはネガティブな感情の沼にどんどんはまっていきました。
本当に次女とはいろいろあって、何をしても彼女の心にはなんにも届きませんでした。私も本当にどうしていいかわからずもがき苦しみました。今だって手探り状態ですけどね。
そんな荒んだ中学生時代に転機が訪れました。「私、顔の修正術する!!!」強行宣言でした。でも、かかりつけ医から「まだ早いと思いますよ、今は体(顔)が成長していますし、今手術をしたとしても皮膚は多少伸びていきますし、術後とは変わる可能性が高いです。成長が止まる18歳くらいが望ましいと思いますよ。」と言われて、親としてもそうなのかなと考えていました。しかしそんな言葉は次女に通用するはずもありません。
そこから私達の病院探しが始まり、主人が大阪母子医療センターを見つけてくれました。すぐに問い合わせ、次女が中二の12月後半に予約が取れまして、夫と私と本人とで車を走らせ愛媛から大阪へ向かいました。もちろん、鼻と口元の修正手術を受けると決めてですね。
こちらの病院は全国でも数少ない唇裂・口蓋裂を専門とした医療機関で、その他多くの専門家と共に様々な問題に対処している医療機関です。年間の唇裂・口蓋裂関連の手術は200件を超える実績があり、私達は伺う前から「ここなら大丈夫」といった確信をもっていました。担当の先生にお会いしてさらにその気持ちが固まりました。
患者さんが多いのもあり「来年の夏休みはどうですか?」と先生に言われましたが、次女のたっての希望で夏休み前の5月に(学校を休んで)予約を入れてもらいました。中三の大事な受験の時期ではありましたが、何かを決めるときにこれだけスムーズにいくという流れと次女の強い決心を考えると、「もうやるべきタイミング」と言わんばかりになにかに先導されているかのようでした。
今高校1年生になりましたが、あの時の手術がなかったら「私もうダメになってた…」と言います。後悔はなかったと。私も本当にそう感じます。それでも、歯の矯正は続きます。口内炎はしょっちゅです、本当に小さな頃から痛いことだらけです。修正術をしたからといって、形態異常の痕跡はあるんです。やはり悩みます、それでも何とか家族で力を合わせて彼女を支えていってます。
というか、子供達を通して私は親として人としてたくさん学ばせてもらってます。それはこれからもずっとだと思います。子育ては簡単ではありません、親になって初めて子育ての大変さが痛いほどわかるようになりました。「親の心子知らず」と言いますが、ずいぶん反抗してました、わたしも…
「お母さん、ありがとう。」
「愛しています。」
って素直に思えることがこんなに歳を重ねてしまってからなんて「遅いよ」って思います。
母に最後に会った日、私は風邪を引いていました。「もう長くは生きられないと余命宣告を受けた」と、弟から連絡があって実家の島根の病院へすぐに行きました。母は余命のことは知りませんでした。どうしても伝えられなかった、まだ生きる希望をもっていたから。私は少し熱があってね、癌患者にとって風邪は命に関わるので、母を抱きしめることができませんでした。「大丈夫だよ」ってぎゅっとしたかったんですが…今となっては後悔しています。
自分を信じていけること、転んでも立ち上がっていく強さを教えてもらったのは母からでした。もっといろんな話をしたかったし、母の美味しい料理も食べたかった。母もたくさん心残りだったでしょう。
こんな経験を通して思うことは、もっと人生を楽しんだ方がいいよってことです。私自身にも言えることですが、世間体や他者に引っ張られるような日々を送らなくていいと思います。元気で笑って、おもしろいことたくさんしましょう。それから緊張することもやってみて下さいね。
HESUN ヘスン