20年の摂食障害

20歳くらいだったかな、私の過食嘔吐が始まったのは… 一度はまってしまうと、この依存地獄から抜け出せず、どんどんエスカレートしていきます。私の場合、症状の強弱はありましたが、20年間もやめられませんでした。

もともと体型コンプレックスがあった私は、幼少期から体格がよかったので、下半身はがっちりタイプの足首なし。小学生の高学年になると、周りの女子たちのシュッとした足の細さが羨ましくて羨ましくてしょうがなかったのを覚えています。

小中学時の体操着は「ブルマー」というパンツ型🩲のショートパンツだったので、まるで下着です。そりゃあ嫌で嫌でたまらなかったし、常にスタイルを意識せざるを得なかったんです。そんな経緯もあり、私は体型をいつも気にしていたというベースがありました。

幼いころから共働きの両親を助けることは当たり前で、自分のことは自分でする、家事をたくさん手伝うという暗黙のルールがありました。

とても大変でしたが、幼いながら掃除や洗濯、台所仕事はきっちりこなす几帳面さや、お母さんを助けたいという気持ちがとても強かったように思います。

両親が家にほぼいなくて、代わりに起伏の非常に激しい厳格な祖母が私たちきょうだいの面倒をみてくれていました。元々お酒が好きな人でしたが、最後はアル中にもなっていきました。今だったら、絶対精神科に行くべき症状の人でしたが、当時はわからなくて性格だから仕方ないとただただ諦めていました。

今思えば、元々の性質だったり、脳の働き方の問題だったかもしれないし… 祖母には祖母の生きてきた背景もあっただろうし、昔の時代なりの苦しみや悲しみがあったのだと思います。

でもね、同居していたので祖母と過ごす日々というのは、私にとって地獄でしかなかったんです。それは私の母も同じだったと思います。

私が患った摂食障害のきっかけは20歳のときのある出来事だったんだけど、ものすごく辛くてね、食べるの大好きな私が、ご飯が喉を通らなくなったんです。

短大を卒業して社会人1年目だったと思います。短大時代には結構太ってしまってたんだけど、これがきっかけで一気に5キロ以上痩せたもんだから、不思議と急にモテだしたんです。みんなにきれいだねって言われて、学生時代の悔しさが払拭されるくらい気分がよかったんです。

私は「頑張っていると認められたい」、「必要とされたい」、「完璧にしたい」、「甘えられない」、「我慢する」が、小さなころから根づいてたように思います。

容姿がきれいになったと勘違いした私は有頂天になり、もう太れないという呪縛に苦しむことになりました。そしていろんな出来事や要素を理由付けにし、過食嘔吐を加速させていきました。吐く回数や食べる量もどんどん増えていき、頭も身体もおかしくなりました。一日が食べることと、吐くことで頭がいっぱいなんです。

20年の間に、原因不明の病気や強度の偏頭痛、皮膚炎、髄膜炎2回、入院や通院をたくさんしましたが、結婚し子供が小さなころまで辞められないでいました。本当に最悪、最悪、自分をどれだけ責めたかわかりません。今思い出すだけで悲しく恐ろしいことです。

あるときね、幼い子供たちを見てて、一生懸命育てているうちにこれじゃあダメだって本気で思い立ちました。本気で向き合い、徐々にたけど自力で辞めることができました。これは奇跡だったと思えます。

あれから14〜5年は経つのかな。今は逆に吐くなんて出来ません。どんなに食べても、吐かなくちゃという強迫行為に及ばなくなりました。

私の場合は完治しましたが、ずっとずっと辛かったし誰にも言えなかったのが苦しかった。

いずれにしてもこれは心の病です。自分なのに、自分をコントロールできないし、治療を受けるという選択肢もなかったから、非常に時間がかかったんだと思います。

台風の目の中にいるように、渦中にいるとき自分自身はよくわからないのかもしれません。

もっと相談できるところがあれば、現代のように携帯やネットが当たり前のときだったら、私も早くに対処できたかもしれません。

1人でどうにかしようと思うより、外からの助けや意見を取り入れた方が良いこともあります。

家族、友人、パートナー、医師、カウンセラー、先生、保健所、支援センター、いろんな人や場所があり助けてくれます。決して放置しないでくださいね。

よければ私もご相談伺います。

HESUN ヘスン

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ヘスン

1972年島根生まれ。愛媛・松山を中心に占い師として活動しています。詳しくはこちらから。ご相談やイベントのご依頼はこちらから。Instagramもやっています。

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